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花山稲荷だより「花の山」

京都山科の花山稲荷神社のブログです。季節の花や山科のこと、日々の出来事などつづります。

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御開帳だよ牛尾山

こんばんは。花山稲荷の神主です。

 日にちがちょっと前後しますが、4月17日音羽山法厳寺の春季御開帳採燈大護摩供に参列とお手伝いに行きました。このお寺様はあの有名な清水寺の奥の院、とても古~いお寺です。役行者様もここで修行をしたと言われています。

 さて、実はこのお寺様のご住職様は私の父と同級生。二人共に異口同音に「あいつは変わった奴や」とそれぞれの人物評を聞かせてくださいます(笑)。
 副住職であられるご子息とは、ほんの一ヶ月前にひょんな事から知り合って、それ以来親しくしていただいています。
 
 当日午後1時から護摩供養が行われました。まだ私には詳しく解らない事が多いので、説明は控えます。
ちょっとでも雰囲気や観音様の有難みが伝われば良いのですが・・・。

では、写真!どうぞ~。

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 護摩壇からの煙が凄いです。このシーンまでは煙が当たり一面を覆っていたのですが、まっすぐ図太く立ち上がったところを一枚。山伏さんは本物の筋金入りの方ですよ。


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 副住職様が護摩木を投げ入れるの図。信者様からの護摩木でしょうか、写真のすぐ後、火中に投じます。


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 おっ、同業者登場!このお寺様では神仏習合を実践しておられます。


 この日は「御開帳」でしたのでご本尊の「千手観音様」にもお目にかかることが出来ました。しかし、大事なご本尊ですので写真を撮ることは控えました。とても美しい観音様でした。次は10月17日に御開帳です。


 お山の中のお寺ですので、周りにある木々が半端なくデカイ!特に目を引くのが「天狗杉」。
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 ご利益ありますように!手を伸ばす私の奥さん。この杉の一番大きな枝が花山稲荷の大杉くらいでした。大きさ、わかる人にはわかるかな?

 護摩供養が全て終わって、後片付け。山伏さんも一緒に片づけをするのですが、普通の人たちでした(・・・当たり前か・・・)
 そして厚かましくも、その直会にも参加させていただいてご馳走にありつきました。麓の婦人会の方々がそれぞれ作ってこられたお料理を戴きましたが、山科野菜がふんだんに使ってあり、豪華です。食うのと喋るのに夢中で写真撮り忘れました、あはは。

 夜は夜で副住職さんと奥さんとその友人に加わって台所の後片付けや直会の残りのツマミ食い(おいおい)をして、全て終わったところで山を降りました。
 普段、神社の祭礼では多くの人の手を借ります。いわば借りる側。今回はお手伝いに行く側でしたので、新鮮な気持ちになりました。

 山科にはこうした隠れた名所があちこちにありますから、ガイドブックに乗ってる超有名社寺にゲップが出てる人にはお勧めの所で~す。
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| 山科あれこれ | 00:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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山歩き

こんばんは。境内の桜第一号が咲いてひと安心、花山稲荷の神主です。


 今日は山科区の東側に連なるお山に行ってきました。
本当は人を牛尾山法厳寺というお寺にご案内するのが主目的だったのですが、せっかくのお天気だったのでここまで来たのなら・・・と、山頂へと足を進めました。
お寺から山頂まで徒歩でおよそ40分。急峻な道ではなく、なだらかな坂道が続く・・・、と言った方が良く似合う山道でした。

なだらかといっても運動不足の私には「軽々と」と言うわけにもいかず、当然道中の写真などはありません(笑)

山頂からの景色をどうぞ!

パノラマ台から
↑山頂だとばかり思っていた「パノラマ台」からの眺め。眼下には琵琶湖(南湖)が広がる。架かる橋は近江大橋。手前は瀬田付近、対岸は草津付近・・・かな?

山科駅付近
↑パノラマ台からおよそ10分。とうとう山頂へ。同じ立ち位置から京都方面と滋賀方面が見渡せる。
写真はJR山科駅方面を望む。

琵琶湖
↑こちらは滋賀県。先ほどと同じ南湖ですが、唐崎付近から北方面を望む。肉眼では琵琶湖大橋が見えていたのですが、写真では霞んで見えません、う~ん残念~!

次は、おにぎり持参で行ってみよう、うっしし。
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| 山科あれこれ | 22:12 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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古い道 山科から稲荷山を巡る②

四辻から北へ上る参道が一本。ここを登ると、また一つ荒神峰と呼ばれるお塚がある。
ここに今回の目的の一つがある。それは「熊丸さんを探せ!」。花山稲荷神社にも摂社熊丸神社があることは皆さんご存知だと思います。その熊丸さんがここにもあるのです。その所在を確かめたいというのが、今回の目的の一つ。熊丸さんは謎多き神様で、その生い立ちや来歴は全く解らない。でも、こうして花山稲荷発の神様が稲荷信仰のど真ん中に今もなお御鎮座であるということは、なんとなく嬉しいものだ。
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写真中央の岩境に注目!「花山」とはっきりと刻んであります

さて、ここでホッとした。ホッとしながらまたまた参道を行く。熊鷹さん、千本鳥居を経て御本社にお参り。その後は、お腹も減ったので門前の「祢ざめ屋さん」でうな丼ときつねうどんを戴いて、今日のところは解散。帰る途中、四辻から東向きの坂道を行った。眼力社での面白いキツネさんの手水、御膳谷で神懸りした行者さんを見かけたり、大阪から来たという男性としばし道中を共にし息を切らしながらあれやこれやと話をしながら薬力さんのお塚まで戻り山科への山道を帰った。飽きの来ない一日でした。再チャレンジは3月!半ばまでにはもう一度巡拝してみます。
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面白いキツネさんの手水。ええなあコレ、うちにも欲しいな~。



そうそう、お山巡り以外にもこんな楽しみも!
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京都市南部を見渡せる場所があるんです。ええと・・・どこやったかな?あ、また3月に行った時詳しくレポートします。
写真中央の低いお山は男山、石清水八幡宮さまの在る所といえばわかりますね?
その左、枝ばっかりの背の高い木の向こうには、この写真では見えませんが、はるかに生駒山が霞んで見えていました。

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清水焼団地2

山科あれこれ~清水焼団地を訪ねて②

森里陶楽さんを後にして、次に清水焼団地会館へ。ここは総合案内所。内部には様々な作品が展示してあり、目を楽しませてくれます。
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清水焼団地に来られたら、まずここに立ち寄って情報の入手をしましょう。

次に訪ねたのは「雲楽窯」さん。
雲楽窯さんでは、主に工房の見学をさせて頂きました。目の前でろくろに乗せた土がくるくる回り、見る見る間に茶碗になったり急須になったり、まるで魔法をかけられたようでした。なので写真はありません・・・。殊それほどまでに、見事な技でした。クルクルクルっ、はいっ出来たよ!みたいな。人間の手の技は侮れませんね。
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でも気になったのはコレでした。
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おそろいのお茶碗
5つというのは、5人家族を表す。お父さん、お母さん、3人の子供。
蓋がついているのは特別なお客様用。よそ様へ行って蓋付のお茶碗でお茶が出てきたら、普段以上に緊張してください。
 そうそう、写真はありませんが、夫婦湯のみ、夫婦茶碗などもありました。大きいのと小さいののセットのものです。人によると、大きさに違いがあるのは男女差別だ!と唸る人も居ましょうが、これにもちゃんと意味がある。手の大きさです。男の手は大きく女の手は小さい。そこをきちんと考えて作ってあるんです。「女は沢山飲むな、食うな」ではありません


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お茶碗の底の切欠き
これはちょっとした気遣いの表れ。切り欠きが無いと、茶托にお茶碗がくっついて、大事な席で「ガチャン」とやってしまう。それを防ぐため。特に、こういった上等の器を使う席というのは、みな着飾っていたり、あらたまった席であることが多い。そんな席での「ガチャン」はもてなす側、もてなしを受ける側も気まずいものです。ここにも作り手の配慮が見えますね。



 昼食を挟み、午後からは「陶人形の藤原」さんを訪ねました。
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 京の宮中から江戸へのお土産として多用され、そのことから「御所人形」とも呼ばれています。すべて手作り、とくに最後に「目」を入れるそうですが、それが一番難しいと藤原さん。作品が生きるか死ぬかはここにかかってる、と。
現在は悲しいかな、なかなか需要がなく、本来のお人形だけではなかなか成り立たない世界でして、神社仏閣の干支縁起物も手掛けておられます。私は職業柄、そっちのほうに気を取られてしまった私は、こんな写真しか取っていませんでした・・・。↓
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ずらりと並ぶウサギさん。来年の干支です。色を塗る前のもの。

 
最後はギャラリー「洛中洛外」さん。
目玉は陶板製の「洛中洛外図屏風」。山形県米沢市の所有の洛中洛外図(国の重要文化財)を陶板で複製したもので左右二隻・四十八枚からなる非常に大きなものです。びっくりしたのはこの図の中に描かれている人は全部で2485人!その中にホントかウソか、外国人が一人だけ描かれているという話を聞き、またまたそれに気を取られた私は片っ端から外人さんを探すのに必死になってしまいました。見つけられませんでしたけど・・・。どなたか、機会があればチャレンジしてみてください。「ウォーリーを探せ」より難しいですよ、多分。
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左隻

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右隻



 どれもこれも、長い歴史を持ち無限数の人々が関わったであろう焼き物。古くは縄文時代に端を発し、海の向こうのノウハウも取り入れ独自の発展を遂げ、初めは食べ物を入れておくだけに過ぎなかったその用途に、遊び心も注ぎ込み、いまだに進歩しつつある焼き物。
 大事に使えば一生物。昨今、プラスチック製の容器から有害物質が溶け出すとか、環境ホルモンが含まれていて人体に有害だとか言われますが、伝統と歴史を背負った清水焼の職人が焼き上げた器はどれもいい加減なものはない。歴史を背負っているからこそ、自分自身にも厳しい。見直されてしかるべきものだと思いました。



| 山科あれこれ | 23:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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清水焼団地

山科あれこれ ~清水焼団地を訪ねて①

10月22日、午前10時から「山科をかたりつぐ会」主催のフィールドワークに参加してきました(もちろん、京都1000年の歴史の息吹を感じながらです!)

この清水焼といえば、昭和30年代までは、お山を超えた向こう側、そうです今の清水寺の辺り一帯に釜を設け焼き物を作っていたのですが、煙害やら何やらでこの山科に新天地を求め新たに開かれた「工業団地」が現在の清水焼団地です。
茶の湯が千利休によって京都で完成され、以来茶人たちによって日本各地、遥か海を越えた大陸からも多くの陶工が呼び寄せられ、江戸時代になって花開いたのが「京焼」です。京都に土があったから「陶芸」が盛んになり、窯元が出来た訳ではありません。文化が必要とした、と表現すれば良いでしょうか。ですから土は信楽などから運ばれてきたものを使っていたといいます。

さて、午前10時に集合、今日は14名の参加者がありました。まず訪ねたのは「森里陶楽」さん。
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御当主は祖父、父、から匠の技と精神を受け継ぎ、平成8年に「3代目 森里陶楽」を襲名されました。
三嶋手を得意とされております。三嶋手のルーツは元々朝鮮李王朝(15世紀ごろ)に宮廷で愛用された焼き物で、それが日本に16世紀ごろ伝ったもの。当時、静岡県の三嶋大社が発行していた暦(カレンダー)にあった行書体の文字が器の模様に似ていたので「暦手」、さらに後に神社の名を冠して「三嶋手」と呼ばれるようになったものです。
「京焼」と聞けば、雅な色使いを連想しがちですが、「三嶋手」はどちらかというと渋めのデザイン。でもそのデザインに味わい深い趣があります。私が感じたのは「すごく角ばってて、冷たい印象があるのに、その文様の線と花の印がなんともいえない円やかさを出していて、見ていて飽きひんな~」でした。こういうモノと一生を過ごしたいですね。
3代目陶楽さんは、その一本一本の線、印花(花の文様の印)が織り成す器の繊細さを祖父、お父上から受け継がれ、その作風を踏襲しながら、ここにきてさらに粋な遊び心を吹き込み、伝統を生かしつつも新たな展開とこだわりを持って陶芸に取り組んでおられます。
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3代目森里陶楽さん


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「ろくろ」で形を整える作業。
言うまでもなく集中力が必要なな作業。
横でガヤガヤと人の声、カシャッとシャッターを切る音。普段は静穏の中での作業のはず。
ほんとにお邪魔いたしました!。



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器に花の印を押しているところ。
一つ一つ、心をこめて押していく。
森里陶楽さん曰く
「土に華を咲かせ、心に華を咲かせる」

「花」と書けば実際の模様とか印を連想しますが、「華」と書けば華やかさと潤いを感じますね。








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