「諦める」とはマイナスか
前の日曜日は、茅野輪作りで新熊野神社へと行きましたね。その新熊野神社の先代の宮司様の言葉を、何故かふと思い出しました。お話を伺ったのはもう10数年前のことです。
先代宮司 「おい、○○君(←私のこと)。『諦める」て何の事か知ってるか?」
私 「投げ出すことですか?」
先代宮司 「あはは。やっぱりそう思うか~」「諦めるとは『明らかに目覚める』ということや。知らんかったやろ。但し、辞書には載ってへんデ」
この解釈に対しては、いろいろな意見があると思います。先代宮司が仰ったのは、「あれこれしてみろ、それでアカンかったら、次の方法。それでもアカンかったら、何がアカンのか分析して、取り組み方を元から考える機会にせえ。そして次の段階に上がるんや」という事。
私は「失敗は成功の母」に近いニュアンスがあるなあ、と当時思いました。もちろん今でもそう思っています。諦めると聞けば、なにかネガティブな印象がありますが、それをもプラスに転じようとする考え方は、今の私にとって必要不可欠に思えます。
明らかに悟る事と、夏越の大祓いは、表面上何も関連することはなさそうですが、半年に一度の機会です。一年の上半期、これで良かったのかな?上手く事が運んでいれば、それを維持する方策をさらに練りこみ、上手くいっていなければ、何がおかしかったのかを省みる機会に充てることが出来ると思います。
本来、夏の疫病退散を旨とする大祓いですが、こうした拡大解釈をしてみるのも、神事に参加し我が身心を修めるのに一考の余地あり、と思います。
神事への参加をそれとな~く促すような内容になってしまいましたが(笑)、花山稲荷にだけでなく、皆さんお近くの神社・なじみのある神社に行かれるご予定ならば、ちょっと頭の片隅にでも入れてお参りしてみてください。
スポンサーサイト
| 神主雑感 | 13:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑