花山稲荷だより「花の山」

京都山科の花山稲荷神社のブログです。季節の花や山科のこと、日々の出来事などつづります。

2010年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年02月

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見失ってはいけないもの

今日はくだんの奈良県へ。
お宅には、形・大きさそれぞれまちまちではあるが、神棚があって、中には一つに一体のお札様が入っておられる。

今日は長年のお詫びを申し上げ、清めてから元の神座にお帰りいただいた上で、古いお札様を取り出し預かる。次に、新しく授かってきたお札様を改めてお清めした神棚にお祀りし、これからの今以上の家族の安泰を皆で祈った。

神職をしていると、形がどうだ、とか作法がどうだ、とかが一番初めに気にかかってしまいがち。コレは当たり前。神職には神職の役割があって、それをこなす上で、形や作法にいろいろな意味が秘められていたりするからだ。一般の方々にはどうだろう?形が大事?作法が大事?慣れてくれば形や作法にも気を配ればよいが、先ずはじめに何はともあれ、神々との間をつり合わそうと誠心誠意尽くすことが肝心となる。「間をつりあわすこと」こそ祭りの原点だ。

今日、つつがなくこのお家のお札様は改まり、その御神気を湛える空間も改まった。念ずればすぐさま降り給いて、御前に額づけば通じ合えるはずだ。なぜなら神主の拙い祭祀奉仕ではあったが、それを補なって余りあるご家族の誠意、真心があったから。

一心に神様と向き合おうとするその姿勢に私は安堵し、こうした人々の直向さを目前にして逆に癒された。
形の上のこと、心の内側のこと。見失いかけていたものを取り戻せたように思うのは、気のせいだろうか。

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