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花山稲荷だより「花の山」

京都山科の花山稲荷神社のブログです。季節の花や山科のこと、日々の出来事などつづります。

2011年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年09月

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筆不精出不精 これも神様のお取り計らい?

昨日は神社の神主さんの集まりがあった。年2回開催され、私個人は今回で2回目の参加となる。
いろいろな顔ぶれの人がいて、その中にお世話になった先生のご子息(以下、彼という)がいらした。彼とは大学で同期、しかし1部と2部の違いもあって入学から卒業まで常に付き合いがあったわけではない。大学3年の終わりごろから4年、卒業論文の執筆(というほどの内容ではないが)に忙しかった頃に知り合ったと記憶している。卒業後私は神社へ、彼は一般企業へと就職し特に年賀状をやり取りするほどのことも、電話で頻繁に近況を報告するといったことも無く長い年月が過ぎた。男の付き合いは一種こうしたものだろうとの思いも過るが、今回は自分の筆不精・出不精を痛感した。

彼のお父上は今もお元気で、まだまだ衰えを知らない人である。しかし、憚る事ながら、息子の立場からすれば来るべき時を想定し始めるのも、今の年齢ならではの事でこれまた当然の事。
一般企業に入った彼はそう考えたとき、えも言われぬ不安に襲われ、今もその不安が抜けないと語ってくれた。これは私にも言えることで、様々な不安や悩みは尽きることはない。短い時間であったが様々な不安解消のため、お互いが感じていることを話し合った。
 
しかし、神様は一見無慈悲なようだ。右往左往するわれわれを笑いながらご覧になっているようだ。もしかしたら、そんな一個人の悩みなど気にも掛けていないのかも。また神様はオチャメだとも思う。大学時代の出会い、その後の長い音信不通時代、不安を充分に煽りそしてタイミングを見計らって再会させる。

「たられば」とか「If」とかは過去を振り返ったときにはタブーのキーワードだが、もう少し早く彼と再会していたら、心に引っかかる何かをここまで大っぴらに話し合えただろうか?経験したことの無い自分自身の未来の不安をこうした再会に紛らわせて、少しでも解消して良い方へと導こうとする目に見えぬ神様の力があると思いたい。私は多分、あれこれ出来事があってもほとんどの場合気づいていないのだろう、しかし神様は何度も何度も手を変え品を変えチャンスを遍く蒙らしている。

お取り計らい?などとタイトルには自分に都合の良いように書いて自分の至らなさを肯定しているようにも見えて、はなはだオハズカシイ。しかし、ちょっと利口なった気もするのでよしとして筆を置くとするか。。。(笑)
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| 神主雑感 | 10:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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