花山稲荷だより「花の山」

京都山科の花山稲荷神社のブログです。季節の花や山科のこと、日々の出来事などつづります。

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仰げば尊し

こんばんは。花山稲荷の神主です。
ちょっといい気分ではありません・・・。昼間、せっかくお山に登って気分爽快になったのにな~。
ニュースなんか(ウェブのやつ)見なきゃ良かった・・・。


「仰げば尊しは教師への尊敬を強要するものなのか?」

 ニュースの記事が目に飛び込んできた。???が頭の中を飛び交う。なんでも歌詞の一部が「教師への尊敬を強要するのだ」という意見の先生が居るのだと言う。先生の頭の中は空っぽなのだろうか?
「生徒に自分(先生のこと)を褒めろと言っているようで違和感がある」のだそうだ。別に、そういった感想を持つセンセーに対しては多感な子供たちは尊敬しないと思う。
 しかし、「先生」「教師」という文字にも代表されるように、背負う使命をこうも簡単に詭弁を持って否定してよいのだろうか。また更には、現代にそぐわないとの意見もあって、卒業式にはあまり歌っている学校も少ないのだともいう。流行の歌を歌うのが目立つと。

性格の悪い神主は思う。
「人生の節目節目は、そうそう浅はかなものなのだろうか?」
「流行の歌で流せるほど薄っぺらな日々しか送ってかなかった、あるいは流行の歌で締めくくるから日々は薄っ ぺらで良いと言いたいのか?」
「あるいは人を尊いと思う心を摘み取りたいのか?」

 そもそも、学校生活のなかで「師」と呼ぶべきは教師だけではないだろう。家から一歩出ればそこは「私」の場所ではなく「公」の場所だ。「公」の場所には大勢の名も無き「師」がそれこそ無数に存在する。そう、自分を何かしらの形で応援し支え育ててくれた人々をも含む。

 いずれにしても、教師は人から尊敬してもらおうとするものでもないし、その教師の側から使命を放棄するような卑怯な発言は、未来ある子供に百害あって一利なし。
 
 もし仮に、尊敬が強要を伴うものなら、それは尊敬とは呼べない。「尊敬」は美しい花のように寡黙でも、花を咲かせるまでの人間が知る由もない苦労を経たのちの内から薫るその有様を言うのだと思う。美しいと言って欲しいから咲く花は恐らく皆無だ。それ同様に、尊敬しろと言わなくても人から尊敬されるのが「先生」ではなかったか。人より先に生まれ、後に続く人を先導し生きる知恵を与える大事な役目。尊敬されるような生き様を示せと言いたいのだ。

人を敬う心がまたもやこうした出来事で一つまた一つ消されてゆくことが悲しい。
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