花山稲荷だより「花の山」

京都山科の花山稲荷神社のブログです。季節の花や山科のこと、日々の出来事などつづります。

2013年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年03月

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水は語る

おはようございます、花山稲荷の神主です。

このところ、さすが「冬!」というような寒い毎日が続いています。
 紆余曲折あって昨日(2月17日)の午後、とある山寺で滝行を修めて参りました。
ずっと前から予定していたのがこの日だっただけで、何も寒い日を殊更に選んだ訳ではないのですが、不思議とこういった日の巡りあわせに嵌ってしまうのが花山稲荷の神主の「何か」なのです。その「何か」が何なのか?は未だに自分にも解りません。
 解っていないから、神様仏様がご相談なさって、不明な部分を水で洗い流すようにご指導くださったのかな?といま感じています。まあ、その「洗い流すこと」が神道的ないわゆる禊(みそぎ)の原点なので、原点回帰と言えばそれまでですが・・・。

 さて、冬の滝のお行。それは、滝行=水の冷たさを克服するものと捉えがち。多くの人は「構えてしまう」のではないでしょうか?ほとんど裸に状態で冷たい水に身を任せる事は、この時期確かに並大抵の事ではありませんでした。
 もし冷たさを堪えるのが真の目的ならば、それは鮒や泥鰌に軍配が上がります。彼らは年がら年中水の中で暮らしていますからね。
 
 並大抵ではない事をする時には思い切りが必要。この時は以前ここに書いた「諦める―明らかに目覚める」の意味を改めて噛み締めることで克服することが出来ました。滝を目の前にして、「ここまで来たらやるしかないやん」と。

 水は言葉もなく何かを語りかけながら隈なく私の身体を駆け巡ってゆくだけでした。
ここへ来て、ようやく水に片足を入れることが出来ましたが、駆け行く水の勢いを感じることが主目的ではありませんし、冷たさを克服する事が最終目的でもありません。
 次にもう片方の足を入れたとき、あるいは入れる寸前、どんなことが脳裏をよぎるのか?何が流れ落ちるのか?何が私の中に入って来るのか?
 神道に修業は無いとはいうものの、神主の各方面の修業はまだまだ続くようです(笑)!


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